日蓮宗 実成山 久成寺
〒412-0022 静岡県御殿場市清後559 電話0550−82−0186
久成寺の歴史
このお寺は、日蓮宗に属し、興統法縁(日興門流)の寺院で嶋倉阿闍梨日済上人の開山です。
昔、富士山の周囲には修験者多く住み、山岳修行をされていた。その一つの庵である山尾山普両庵(1221)を改宗。暦応元年(1338)9月12日に小富士山久成寺としましたが、後に山号を改め實成山とされました。また、寺号は、法華経道場として寺が長く続くようにと願いを込めて「久成寺」の名称にしたと伝えられています。
 開山の日済上人は、御殿場地方に勢力を持っていた芹沢玄蕃介の三男で、8歳(1302)のときに富士山重須本門寺根源(富士宮市北山)通称 北山本門寺の御開山である日蓮聖人の直弟子。六老僧の白蓮阿闍梨日興上人のもと日興上人ご遷化までの間、32年間ともにされました。興師遷化後、久成寺を開きましが、本門寺大学頭4世の依頼があり重須談所(北山本門寺)にて27年間、弟子教育を勤めました。日済上人は、宗祖日蓮大聖人が鎌倉幕府に献上した「立正安国論」(北山本門寺蔵)を筆写しています。開山日済上人は、応安元年(1368)10月6日北山本門寺にて75歳の生涯を閉じました。
 昭和16年の三宗派合同以前は、本門宗で寺格は中本寺。塔中と末寺が3ヶ寺がありました。

また、小田原城主 大久保隠岐守の祈願所として、明治維新まで続いた寺であり、本堂内には堀内天嶺(てんれい)画伯が初めて描いた日蓮聖人御一代記(生涯図)が絹布に描かれていて、本宗にとっても貴重な作品である。

また、御殿場市指定文化財である仏具の鰐口(わにぐち)や御霊宝類は、代々大切に保管しています。
 境内の枝垂れ桜は、寛文12年(1672)に市内中町の中島常蔵が植えたといわれている。 本堂裏の墓地には「大御神(おおみか)さん」と呼ばれている五輪塔があり、これは承久3年(1221)の承久の乱にかかわり籠坂峠中腹で処刑された藤原光親(みつちか)卿を埋葬したと伝わる墓所がある。
またその近くには、廃仏毀釈により境内から塔頭の本行坊跡地に移動された鬼子母神堂と番神堂があり、子育鬼子母神(子供の守護神、法華経守護の善~)、弁財天は御厨で唯一久成寺にあります。(水の神、言葉、音楽、財福、知恵の神)、八幡大菩薩(法華経守護の神)、天照太神(人を救う神。本地垂迹)、春日大明神(国家守護の神)をおまつりしています。
現住職は38代目であり開山から数えると677年(平成27年現在)。